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「イメージ、崇拝、典礼:宗教的メッセージの政治的意味《
2009年10月1日*3日 於ミラノ・聖心カトリック大学(イタリア)


« Rassegna» Immagini, culti, liturgie : le connotazioni politiche del messaggio religioso
/ Images, cultes, liturgies : les connotations politiques du message religieux.
1-3 ottobre 2009  Università Cattolica del Sacro Cuore di Milano


佐藤公美(ミラノ大学)
[Hitomi Sato (Università degli Studi di Milano)]


 この学会は「宗教的メッセージ《を課題として、三日間に渡ってミラノ・聖心カトリック大学で開催された。実際には 【送料無料 ノア ヴォクシー】 215/50R17 17インチ WEDS ウェッズスポーツ SA-72R 7J 7.00-17 YOKOHAMA ヨコハマ エコス ES31 サマータイヤ ホイール4本セット【YOsum18】、より枠組みの広い仏伊国際共同研究三ヵ年プロジェクト「思想の媒介。中世・ルネサンス期間の象徴的権力 [Les vectures de l’idéel. Le pouvoir symbolique entre Moyen Âge et Renaissance (v.1200-v.1640)]の一環をなす企画である。プロジェクト全体は、広く13世紀から17世紀の政治的コミュニケーションの諸形態を研究するもので、特に中世末期から近世にかけて、国家的政治権力の台頭とともに新たな政治的・文化的主体が台頭し、教会による文化の独占状態が変化する時期に、象徴的コミュニケーションのあり方が如何様に移行してゆくか、という問題に焦点を置く。パリ第一大学のジャン・フィリップ・ジュネ(Jean-Philippe Genet)とパトリック・ブシェロン (Patrick Boucheron)が統括する。
 今回の学会はその第一回ラボラトリーであり、宗教的メッセージが暗示する政治的内容を扱う。より厳密にはイメージ(図像表現)、祭礼、典礼が検討の対象である。3セッション構成で最後に総括ラウンド・テーブルを加えているが、各セッションのテーマと報告題目、報告者は以下の通りである。報告と討論は、通訳を置かずにイタリア語、フランス語、英語のいずれかで行われた。

    第一セッション 「聖書と秘蹟《
      イントロダクション ラウラ・ガッフリ(トリノ大学)
    • 「西洋的伝統における聖書解釈と暴力《

    •  フィリップ・ブク(スタンフォード大学)
    • 「母と晩餐の象徴的権力《

    •  ミリ・ルビン(ロンドン・クイーン・マリー大学)
    • 「Plenitudo potestatis:政治的神学から絶対主義国家の理論へ《

    •  マルコ・リッツィ(ミラノ・聖心カトリック大学)
    コメント ルイジ・カネッティ(ボローニャ大学)

    第ニセッション 「政治的コミュニケーション・システムにおける宗教的言語:崇拝と図像表現《
    イントロダクション パオラ・ヴェントローネ(ミラノ・聖心カトリック大学)
    • 「典礼の伝統とその暗示的メッセージ:ミラノにおけるambrosianum mysteriumの政治的受容の地平に関する考察(十二*十六世紀)《

    •  パトリック・ブシェロン(パリ第一大学)
    • 「初期ヴィスコンティ下のミラノにおける象徴的コードの形式的継続性と理念の変化(ジョヴァンニ[1354没]まで)《

    •  グイド・カリボーニ(ミラノ・聖心カトリック大学)
    • 「ヴィスコンティと聖処女崇拝《

    •  フェデリカ・チェンガルレ(ミラノ大学)
    • 「ジョヴァンナ・ダンジュー一世のナポリにおける宗教的図像表現と権力の表現《

    •  パオラ・ヴィトロ(ナポリ「フェデリコ二世《大学)
    • 「“神の君主は我等の中に”:サヴォイア・ピエモンテ間の”iocondum ingressum”における市民的典礼と君主のキリスト模倣《

    •  ルイザ・クロティルデ・ジェンティーレ(トリノ大学)
    • 「マリー・ド・メディシスとマリア崇拝:政治的無原罪主義と王妃の杖《

    •  ヤン・ロディエ(パリ第4大学)
    コメント チンツィア・クレモニーニ(ミラノ・聖心カトリック大学)
         ライモンド・ミケッティ(ローマ・トレ大学)

    第三セッション「政治的コミュニケーションシステムにおける宗教的言語:典礼と儀礼《
    • 「若き公子の教育。サイヴォイア公宮廷の時祷書ms.Pal.56《

    •  フランチェスカ・カマレロ(パルマ大学)
    • 「アラゴン朝下ナポリの6月2日の祝祭行列《

    •  フランチェスコ・セナトーレ(ナポリ“フェデリコ2世”大学)
    • 「1500年前後のヴェネツィアの宗教の史料と図像《

    •  ライモンド・グァリーニ(ローマ・トレ大学)
    • 「カエサルと神の間で。ジェノヴァ共和国とヴェネツィアのCorpus Domini《

    •  クラウディオ・ベルナルディ(ミラノ・聖心カトリック大学)
    • 「《より深い信仰のために、聖骸布そのものと同じ大きさで、それに触れたものであることを》。近代サヴォイア宮廷の政治と外交における聖骸布の複製《

    •  パオロ・コッツィ(トリノ大学)
    • 「一方の音楽、他方の音楽:聖堂参事会の場における王の儀式。フランス、1570*1640《

    •  サヴィエル・ビザロ(モンペリエ第三ポール・ヴァレリー大学)
    • 「聖体拝領と権力:自己への秘蹟における王―キリストの犠牲《

    •  ファン・カルロス・ガロト・ザンブラナ(トゥール大学、ルネサンス高等研究センター)
    コメント サラ・カリッボ(ローマ・トレ大学)

    総括ラウンド・テーブル
     ジャンカルロ・アンデンナ(ミラノ・聖心カトリック大学)
     エンリコ・アルティフォーニ(トリノ大学)
     ジョルジョ・キットリーニ(ミラノ大学)

 第一セッションは、「政治《と「宗教《の関係を、聖書解釈、秘蹟、神学等の基礎的テキストの水準で考察する。残念ながら筆者は第一セッションには参加できなかったので、アブストラクトをもとに簡略に述ることを御寛恕いただきたい。ブク報告は中世の聖書解釈学においてどのように暴力が理解されてきたかを、第一次十字軍、ジャンヌ・ダルク事件、フス改革を通じて素描する。中世のキリスト教解釈学は決して非暴力的なものではなく、ヘレニズムとの統合を通じて、戦争という物理的現象に聖なる精神性与え、自らと共同体の改革の手段としての戦争という理解に至る。ルビン報告は、処女マリアと聖餐に内在する「母《と「食事《という家庭的イメージが、「ドメスティック《な領野が「政治的《領野に混入している中世社会において持った象徴としての可能性を考察する。他方リッツィ報告は、マタイ福音書の「カエサルのものはカエサルへ《という命題が15世紀から16世紀にかけて絵画の中でどのように扱われてきたかを、図像解釈と絵画の発注者、時代の神学思想を統合的に検討し、絶対主義国家の思想的基盤成立への過程を跡付ける。地上のあらゆる権力への教皇権の優越理論から発達した絶対的権力論(plenitudo potestatis)が、普遍的権力から切り離され、近世の領域絶対主義国家に吸収される1500年代に至って、国家と教会の二元性原則が現れるという。
 第一セッション後には非常に活発な討論が行われたということである。二日目にはそれを受けて、パオラ・ヴェントローネのイントロダクションで 17インチステップワゴン スパーダRG系WEDS レオニス NAVIA 05 マットブラック/リムポリッシュ 7.0Jx17Bluearth エース AE50 215/50R17、第二セッションを中心に学会全体に渡る問題設定、方法論、コンセプトが示された。今学会の第一の特徴は、史料と素材の多様さと学際性であるが、関連分野において厚い業績を持つ代表的研究者と、若手研究者の出会いの機会としても設定されており、畢竟、方法論的・理論的な新しい試みと、伝統的手法との対話が行われる。その中から、学際的討論の有効性と、そのような検討から、政治的コミュニケーションシステムがもつ継続的な変化のありようが浮上する。政治的コミュニケーションシステムは、絶え間なく作り出され、刷新されてゆくのである。更に、比較考察と、対象とする時代設定の広さの二点においても有効性が示された。比較考察とは、外見上のアナロジーの指摘に留まらず、個々の地域的事例間の相互交流や影響関係を明らかにするものであるということにヴェントローニは注意を促す。比較考察の地理的な広がりの傍らで、中近世をまたぐ時代設定の広さは、コムーネ期から絶対主義国家への移行の過程の中で、政治的・宗教的コミュニケーション形態の継続的存在や変化、変化への抵抗等の諸相を明らかにすることを可能にする。
 ヴェントローニの指摘は、第二セッションの各報告を踏まえた極めて的確なものであろう。ブシェロン報告は、12世紀以降4世紀間に渡るミラノのアンブロシウス典礼の伝統の政治的利用とその受容の展開を考察する。アンブロシウス典礼は、カトリック教会組織内でミラノ教会が自らの独立性を主張する根拠であるが、市民的意識にも同様の影響を与え、政治的・社会的闘争に市民を動かしてゆく基盤ともなった。賛美歌は闘争の歌であり、闘う司教の記憶を伝えるとともに、一般信徒が歌唱に参加するため、ローマ式典礼に比べて市民との距離が近く、また市民への説得力が高い。このような歌唱と典礼の伝統は、典礼書の伝来の歴史からは独立した歴史を持っており、長く影響を持ち続けるともに政治的言語に大きな影響を与えた。
 続くカリボーニ報告は、恐らく今回の学会において最も明快な形で、時代のシンボル体系の特質によって歴史的変化を示した例の一つであろう。図像や彫刻など、物理的な形で存在するシンボルは、様々な立場からの多義的な意味付与の可能性に対して開かれた存在であり、決して単一・上変の意味を一方的に伝達するだけのものではない。同じシンボルが時代とその解釈・利用の主体に応じて意味を変えてゆくのである。このような「シンボルによるコミュニケーション・メカニズムのダイナミクス=動態の研究を前面に押し出したことが、今回の学会の意義である《、とは、カリボーニ自身が第二セッションを受けた討論の中でも主張したところである。初期ヴィスコンティ支配のもとで、コムーネ期の市民政府から個人による支配のシステムへの移行を遂げる際、オットーやジョヴァンニは平和をもたらす司教、大司教としての性格を利用し自らの正当化を実現してゆくが、その際に司教アンブロシウスのシンボルが、多様な意味を担って変化してゆく。「平和《「正義《の概念が強くヴィスコンティに結びつけられるとともに、都市を守る守護者としてのアンブロシウスのイメージをヴィスコンティは頻繁に用い、その市民政府との連続性を利用して、市民アイデンティティーのよりどころを自らにひきつける。しかしアンブロシウスの象徴的役割は、コムーネ期にカロッチョに乗って闘う司教として表現された時のそれとは異なり、鞭を右手に魂を導く聖人に変化している。鞭を持つ司教の図像そのものはコムーネ期にすでに用いられていたという解釈に賛意を示しつつ、カリボーニはそのヴィスコンティによる再利用と、自らに寄与する新しい意味の付与を指摘する。ここではシンボルの「連続性《は偽装的なものであり、前時代から社会にしっかりと根付き、価値の連続を表すかに見えるシンボルの影には、新たな意味が隠されており、台頭する新しい権力の正当化の役割を担っているのである。
 チェンガルレ報告も同様にヴィスコンティ期の祭礼の変化に注目し、ヴィスコンティによるマリア祭礼の利用を検討する。14世紀、「平和《とともに、神と人びととの「仲介者《としての役割を担った聖処女崇拝を、ヴィスコンティは自らの家系の伝統として意識的に伝える。同時にマリアを普遍的聖人として支配領域に広め、各都市の個別の聖人ではなく、すべての支配領域が自分のものとして受容できる信仰として普及させてゆく。また自らを神と臣民の仲介者である君主として位置づけるヴィスコンティ家は自らをマリアに強く結びつけるとともに、アンブロージョのような都市聖人をマリアの傍らに位置づける。
 チェンガルレはそこにフランス王家からの影響を読み取るが、続くヴィトロ報告も、ナポリを舞台にシンボル・ポリティクスの全ヨーロッパ的広がりと相互連関を示唆しており、互いに独立した個別事例の比較とは異なる、事例間の相互連関への着目を強く感じさせる。伝統的にはシチリア王国の衰退期と位置づけられているジョヴァンナ・ダンジュー一世時代だが、ヴィトロは聖キアーラ教会を中心に、女王の芸術品発注とイコノグラフィーを詳細に検討し、その独自な性格に自らの権威を強く意識した意欲的政策を読み取る。ジョヴァンナはキリストの受難への深い信仰を持つアンジュー家の伝統や家の聖人を意識的に取り上げるとともに、十字軍遠征を介してヨーロッパに普及した様々な聖人や、フランス騎士文学や騎士修道会の聖人を図像として積極的に用いる。フランスとの継続的コンタクトの影響は明白であり、ヴィトロはそこに、王朝の危機にあって一国家を超えた国際的広がりを積極的に追求した女王の政策を想定する。
 フランス、及びアルプス以北からの影響への配慮はジェンティーレ報告にも共通である。サヴォイア、モンフェッラート、サルッツォなどピエモンテの入市式を検討し、15世紀後半以降の複雑化と規模の拡大に、カール8世またはルイ12世によるフランスの影響を見る。15世紀前半までのピエモンテの入市式は比較的単純であったが、世紀後半に入って劇場性が増し、キリストのイェルサレム入城や降誕の模倣など、聖書によりどころを持つ宗教的要素が濃くなるとともに壮大になる。そこに王朝の危機の影響と意識的な支配権の主張を見る点はジェンティーレもヴィトロと同様であるが、同じ象徴の体系が、君主以外の貴族や、傍系公子などによっても自らの正当化のために利用されえたため、集権と分権双方向への動きを加速しえたという指摘は、やはり象徴体系を利用する主体の複数性、というライトモチーフに共鳴すると言えよう。
 変わってロディエ報告が対象とするのは17世紀フランスであるが、豊富な図像解釈によってマリー・ド・メディシスがどのようなシンボルを利用して自らの正当性を主張していったか、とりわけマリアの無原罪主義との関連を解読する。1605年には王妃は王を補完する補助的役割として図像に現れ、母としてのマリーとマリアの母性が重ねあわされるとともに、それによって王である息子の正当性を支える存在として描かれる。しかし息子との関係が決定的に悪化する1617年へ向けて、マリーは王と対等な存在として描かれるようになってゆく。
 第二セッションは各報告が豊かな情報を持つとともに、それぞれをつなぐ共通性も明快であった。何よりもヴェントローニが既に述べたように、政治的コミュニケーションシステムの連続/変化の側面と、個別事例相互の影響関係という二点を、具体的にも理論的にも展望させる太い縦糸の示された好セッションであったと思われる。殊に第一点目に関しては、本科研の研究協力者でもあるゲルト・アルトホーフらのリチュアル研究に関して、ドイツ語圏で展開された批判を超えて[朊部良久「中世ヨーロッパにおける紛争と秩序――紛争解決と国家・社会――《『史林』第88巻第1号を参照]、コミュニケーション研究をより立体的に展開させるための方法論として、極めて有効なのではないだろうか。カリボーニの主張する「シンボルコミュニケーション・メカニズムの動態(ダイナミクス)《という観点は、正面から取り上げられなければならない。また、この論点に関連して、討論の中でジャン・フィリップ・ジュネが提出した「シニフィアンとシニフィエを区別する必要がある《という指摘は極めて重要であると思われる。その意味を筆者なりに捉え、発展させれば次のように言うことができるだろう。物的な実態をもつ図像などのシニフィアンが持ちうるシニフィエは複数ある。それは単純な、メッセージの発信主体と受容主体の齟齬といった水準を超え、より積極的・構築的な意味を持っている。一つのシニフィアンに対して、立場、社会的実態、時代、地域を異にする複数の主体がシニフィエの付与主体として参与し、具体的な時間と場所の中で行為する。シンボルというものを、複数のシニフィエ構築主体の歴史的行為の場として捉えるならば、最も古典的な意味での歴史学の本領、即ち具体的動態を把握するという目的に対して、シンボル・コミュニケーションというフィールドが与えうる可能性は小さくない。だがそのためには、どちらかと言えば現代思想の領域に属するシニフィアンとシニフィエを持つシンボルというものの性質や、イコノグラフィーを歴史家がよく理解している必要があろう。このことはまた、古典的な歴史学の手法とはしばしば対置され、非動態的把握や歴史的長期的文脈からの切り離しといった傾向と結びつけて理解されがちなポストモダニズムに由来する手法や概念が、まったく逆に長期的歴史的文脈における動態的把握のための最良の武器ともなりうることを示唆しうるようにも思われる。
 また、第二セッションのコメントでは、やはり伝統と革新の間のディアレクティークが各報告から浮上したことがクレモニーニよって指摘された一方、

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、ミケッティからは研究史上の問題が提起された。周知のように「言語《やそれに関連した「アイデンティティー《や「受容《の問題の歴史学における研究史は比較的新しく、欧州ではベルリンの壁崩壊を一つの画期とした現象である。政治制度史が圧倒的に中心的であった1960年代から1990年代に比べて、今回の学会ではその後の研究史的展開を受けて、強すぎる解釈の枠組みを避け慎重な術語選択をしつつ政治と宗教の関係を論じるアプローチが目立った。それは豊かさではあるが、より大きな解釈の枠組みとの連関を見失うという問題もあるとミケッティは指摘する。カリボーニの「動態《に関する主張はこれらのコメントに対する一種の返答としてなされたものであるが、筆者もその見解を共有するものである。むしろ今回の学会は、具体に出発し慎重な言語と豊かな情報量を持つ個別研究を、シンボル解釈のような比較的新しい分析ツールの可能性の開拓と方法論の練成を通じて、新しい方法でより大きな枠組みへとつなげてゆく初期的試みと位置づけた方が的を得ているのではないかと思われる。
 第三セッションは、演劇、音楽その他見せ物などのパフォーマティヴ・アートや儀式を史料とし、市民的要素と宗教的要素が総合されて創出される政治的言語と、その効果を考察する。若干色彩を異にするのはカマレロ報告であるが、ここでは14世紀にヴィスコンティ家が発注し、15世紀にサヴォイアで完成された時祷書のミニアチュールを検討し、同時祷書が1465年にサヴォイア公となるアメデオ9世に、公たるものの取るべき道徳的・政治的・宗教的振る舞いを諭す教育の書として作成されたことを結論する。
 セナトーレ、グァリーノ、ベルナルディの三報告はいずれも祝祭を検討対象とする。セナトーレ報告はアラゴン朝下ナポリで、アルフォンソ王によるナポリ陥落を記念する6月2日の行列の行程と当時の都市の構造を再構成し、アルフォンソ時代とフェッランテ時代を比較する。アルフォンソ時代に確認される兄弟会や一般市民の参加がフェッランテ時代には既に見られず ZOOM ダウンサス 1台分セット [日産] プレーリー HM11 KA24E H1/4~H7/8 2WD 2.4L、宮廷人の祝祭となる。また儀式のために用いられた領域は、通常の年生活の展開する領域とは完全に隔絶した市外に確認される。従って儀式は君主の儀式となりあり、都市にとっては外在的なものになっていたことが結論付けられる。
 続くグァリーノ報告の興味深いテーマは、信仰とその表現の多元性の如何である。1500年前後の時期に、ヴェネツィアの祝祭は、ドージェ権力を中心として一元化されていくのか、それとも共同体や諸集団の複数の信仰表現の余地が残されているのか。グァリーノはこの問題に、15世紀の聖人の祝祭の図像や、スクォーラ・グランデの祝祭行列、ティツィアーノの「キリストの勝利《など、これまで十分に活用されてこなかった多様な史料類型を用いて取り組む。そして研究史上未検討の文書館史料から、地域共同体が組織し、当局から承認を受けていない宗教的祝祭の存在をも結論し、16世紀ヴェネツィアの文化的多元性を主張する。
 ベルナルディ報告は16世紀から18世紀のヴェネツィアとジェノヴァを対象に、Corpus Dominiの祝祭を検討する。キリストの肉体をシンボルとして、キリストの犠牲による神と人間の和解、転じて地上の平和を象徴するCorpus Dominiの持ちうる意味は多元的であり、既存の権力・社会構造への順応と抵抗の双方を訴える可能性を持っていた。ヴェネツィアではドージェへの集権を象徴する市民的祝祭として定着し、市民の一体性を表現する儀式となるとともに、対外的にはヴェネツィア国家の偉大さを示す機会ともなった。1606年にはヴェネツィアの教皇庁への抵抗を示す機会ともなり、スクオーラや様々な宗教団体が参加した。ジェノヴァでは15世紀にCorpus Dominiの祝祭が普及し、「貴族《「民衆《双方がそれぞれに組織をつくり、競合する。しかしアンドレア・ドーリアの改革を経て、祝祭もジェノヴァ共和国の強い統制の下に置かれ、Corpus Domini会も対抗宗教改革下で聖なる秘蹟兄弟会に変化、聖餐信仰はしだいに公の祝祭に一元化されていく。
 対してコッツォ報告の対象はトリノの聖骸布である。聖がい布は神の守護を受けたサヴォイア公家の優越性をプロパガンダする道具となるが、その吊声は公国の境界を越えて広がり、とりわけ16世紀から18世紀にかけて、イベリア半島およびハプスブルク家領において、各国の王侯によって積極的に外交の道具としても用いられてゆく。サヴォイア公国の同盟国からは聖骸布のコピーの依頼が多数寄せられるが、その際オリジナルから直接、物理的接触によって写し取ったコピーが聖性の付与において重視されている。コッツォの表現を用いれば カジュアルエスライン スペーシア MK32S / MK42S H25/3-H29/12 Bellezza シートカバー、物理的接触が聖性を伝えうる、という観念に支えられ、同時代のヨーロッパの諸君侯は「再生産されうる聖性《をめぐって競合したのである。
 パフォーマティヴ・アートという素材の中でも、今回独自の色彩を持っているのはビサロ報告の音楽研究であろう。最も音楽は教会史研究や文化史研究の中では必ずしもマージナルな素材ではないと思われ、学際研究の意義が感じられる。ビサロは国王の入試式が音楽表現の場でもあったことを踏まえ、都市の音楽的伝統の保持者としての聖堂参事会に注目するとともに、入試式における音楽の役割を評価する。続くザンブラナ報告はマドリードの祝祭を取り上げる。近世マドリードの祝祭には国王が自ら参加し、行列に加わることを通じて自らとキリストを象徴的に一体化させ、16世紀中葉からは演劇における王や政治的領域とキリスト教的内容のアレゴリーが発達してゆく。このようなアレゴリーは、逆に文学作品の中で国王を批判するための道具ともなる。
 セッション総括として、カリッボによるコメントでは、改めて表現の受容者の問題と、地域と流通の問題が指摘された。儀式や信仰表現、劇場表現の受けてもまた固定的ではなく、変化し、表現の意味の変化に影響を与える。また当初局地的な広がりしか持たなかった聖遺物のコピーがしだいにその普及する領域を広げていくことと、近世における国際関係の広がりの関係を指摘するとともに、研究対象としての社会層や社会集団の幅を広げてゆくことの必要性が主張された。第三セッションは美術史や文学史的内容の報告を多く含み、また学会二日目の後半と三日目にセッションそのものが二分された上に、二日目後半はイタリア、三日目はフランスとスペインを対象とし、また司会と報告の言語もそれぞれイタリア語と英語、フランス語に分かれ、かつフランス・スペイン研究が16世紀後半以降に集中する一方、イタリア研究は少なくとも展望としては15世紀を覆う中世をから近世への移行を扱ったため、全体像が若干曖昧になったとの印象は否めない。パフォーマティヴ・アートという史料類型を用いて、凝集性の高い国際協働研究を行うことの難しさを感じさせるが、画像史料の有効性を確認させるセッションでもあったと思われる。
 いずれにせよ、素材と手法の多様性と豊かさには疑いがなく、この点は総括ラウンド・テーブルにおいてジョルジョ・キットリーニが第一に指摘したことでもある。無論このことが内包する問題は小さくない。キットリーニが言うように、第一に学際的研究は実に多様な学問的技術を要する。また一回一回の上演や祝祭行列が個別の物理的存在をもつパフォーマティヴ史料は、そのような性格ゆえに政治的言語の創造能力を持つ一方で、解釈には無限の可能性があり、単一の理解を絶対視することはできない。画像史料のデジタル化を重ねることによる誤読も容易である。何よりも、研究対象とする時代や地域の幅を広げれば広げるほど、個別状況間の政治・社会・経済・権力構造の差異は明確に意識されていなければならない。「いつ《と「どこ《、即ち歴史研究の最も基本的な二つの概念を見失えば、歴史性を無視した純粋なアナロジーに陥ってしまうという危険性は、ジャンカルロ・アンデンナも同じラウンド・テーブルで繰り返すところである。
 このような警鐘も、基本的な方向性の積極的肯定の上に立ってより生かされるものであろう。エンリコ・アルティフォーニも又、マックス・ウェーバーの支配の合法性に関する議論を引き合いに出しつつ、今回の学会では様々な合法化の道具が同時に機能する実態が示されたとし、合法化という古典的な課題へのアプローチの変化を、客観的に見て有効なものと評価する。即ち言語、または表現を分析対象とするということが、言葉そのものに超越的な合法化の力を認めるのではなく、言語や表現が有効に機能しうるための条件を検討することである、というアプローチが示されたとアルティフォーニはとらえるのである。そのような条件が成立するために必要な要素として、既知の観念の枠組みにディスコースが帰せられ得るかどうかという問題や、修辞的伝統の多様性を前提とした聴衆・受けての問題などが指摘された。ジャンカルロ・アンデンナも、キットリーニとアルティフォーニのコメントに賛同を示しつつ、今回の学会で盛んに議論された「記号《(記号は物理的要素であるが、特定の文脈に応じて特定の意味を担う)や「聖性《(聖性は宗教一般やキリスト教文化を超えて広がる概念である)の問題、更に今回の学会での多くの報告とは逆方向に 、政治的シンボル・システムの側からの宗教的シンボル・システムへの影響の存在、「貴族《や「帝国《などの要素も検討する必要などを指摘した。
 各セッションでのコメントにも感じられたことだが、総括ラウンドテーブルにおいても、各コメンテーターは研究史的前提を強く意識した上で、今回の学会を一つの新傾向の結晶として積極的に肯定する基本姿勢が目立った。カリッボが専門分野の「檻《と称したところの、各分野毎に強固に確立した方法論と対象を持つイタリアでは、このような学会の成功は10年前には想定され得なかったところだというが、キットリーニに言わせれば何もその檻に留まる義務はなく、我々は「いつでも出たい時に出られる《のである。それが可能になったのは独仏英語圏の諸研究の影響によるところが大きいが、ここでイタリアでも継続的に学際性と国際性を高めてゆこうとする一つの方向性が明示されたと言えよう。同時に、そのような「新《傾向自体が、独仏英米学会での蓄積の厚みを前提としているためか、新類型の史料やアプローチの持ちうる問題と限界性をかなりの程度少なからぬ参加者が考慮し、方法論においても、個別事例に基づく理論的分析においても、その限界を超える一定の展望が示されたとの印象が強い。
 このことが、日本に基盤を置く本科研のような共同研究にとって含意するところは小さくないのではないか。各研究者の専門領域が、相互の孤立した別個の研究史と問題設定、一群の分析ツールを持っているという前提はもはや成立せず、むしろそれらの間の交流と相互影響関係、共通のツールを明確に意識しながらヨーロッパ史研究を進める必要が今後一層増大してゆくはずである。そのように考えれば、一方ではなお一層「時代《と「地域《の固有の特徴をしっかりと踏まえることの重要性が痛感されるが、それは個別分断化ではなく、逆により大きな共通の議論を確かなものにするための上可欠の前提であると筆者は認識している。また、相互に独立した個別事例同士を、単なるアナロジーに基づいて行う比較ではなく、相互の影響・交流関係を重視するという立場が、今回の学会では比較的明確に示されたと思われる。会場では明確な言及はなかったが、90年代から2000年代にかけての比較史、とりわけ文化史における比較史の理論そのものの展開を前提とすれば当然のこととして理解できる主張であり、そのような歴史研究理論の中近世史における一つの具体的結実としても、この学会の成果を位置づけることが可能かもしれない。その上に立って地域・時代間の差異を忘れるなという警鐘を具体的研究に結実させ、総合していくことで、方法論としても更なる展開が望まれるであろう。いずれにせよ、逆戻りの上可能な一点を既に我々は通り過ぎたことを改めて意識させる学会であったと言えそうである。また、討論ではミリ・ルビンが宗教的コミュニケーションの背後で、社会に遍在する暴力の重要性を指摘したが、今回の学会の成果に基づいて、紛争とコミュニケーションという本科研の問題を捉えなおせば、宗教的イメージやシンボルも、武力行使に至る紛争も、物理的な「場《に複数の主体が参画し、意味を与え、自らを合法化する具体的行為を積み重ねることで現実を変えてゆくコミュニケーションである、という把握の意義が 205/50R17 89V BRIDGESTONE ブリヂストン Playz PX プレイズ PX SEIN SS ザイン エスエス サマータイヤホイール4本セット、動態的側面を加えてより明確になったように思われる。このようなヨーロッパの現在の共同研究の動向を継続的にフォローしていくことが本科研にとっては極めて重要であろう。なお、

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、今回の報告集はÉcole française de Romeから刊行される予定である。

2009- Dept. of European History, Kyoto University.
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